文化が立ち枯れないために
法人へ至る道とその後

NPO
法人留萌市文化会議  笠原 英生

留萌市文化団体協議会が「特定非営利活動法人留萌市文化会議」に衣替えをしたのは平成十三年のことである。

当時も今も特定非営利活動法人つまりNPO法人そのものが、市民に認知されているとは言い難い。
当事者である私たちでさえも、法的な厳密さを求められると戸惑うことしばしばである。のみならず専門家の間でさえ解釈の相違があると聞く。そういう摩訶不思議さがつきまとう法人を私たちが敢えて選択したのは何故か。
今、ようやく文化会議の方向性が見えてきたのを機に、反省と展望を込めて分析してみたいと思う。
ただし、限られた紙面なので、「選択肢はこれしかなかったのか」「文化活動の自立性、自主性は損なわれないか」の2点について述べたい。

選択肢はこれしかなかったか
法人化に踏み切ったことの発端は、市の補助金全廃方針にある。市は厳しい財政難を理由に補助金の打ち切りを通告してきたのは、平成十一年のことである。経過措置として平成十二年度、十三年度については五十五万円の補助をつける、以後はゼロというものであった。代替措置のない一方的な通告であった。そもそも補助金は留萌市の芸術文化の振興を施政方針の一つとする政策を遂行に当たって、行政が関係団体に対して行ってきた唯一無二の方策なのである。もちろん活動資金に乏しい関係団体にとって補助金はありがたく、文化の振興のために有効に使わせていただいた。

市民に馴染み深い留萌市民芸術祭も留萌市民文化誌「波灯」の発行も補助金ナシでは出来得ない事業であった。(波灯は「留萌市芸術文化振興基金」からの補助で、この基金(二千万円)の大半は当時三年係りで留萌市文化団体協議会が市民の浄財をいただいて基金に入れたものである。従って一般の補助金とは異なるものであることを申し添えておきたい。)しかし、打ち切りの言い分は「補助金は短期的なもので、目的が達成されるまでのものである。何時までも交付するものではない」と言うものであった。では実態はどうか。補助金によって行っている事業は、留萌市民芸術祭は二十七年目になる。波灯は十六年、留萌市文化団体協議会そのものは二十六年になる。この間補助金の金額の調整はあったものの、一度たりとも打ち切りの通告を受けたことも無ければ、打ち切りの相談に預かったことも無い。何故か、市も市教委もそれら補助金が有効かつ効果的に使われていることを承知していたからである。そうでなければ補助金を長期にわたって継続してきた理由が見当たらない。
ことの背景の説明が長くなったが、私たちが年間予算の約三分の一近くを補助金で賄ってきたことを考えると、打ち切りは死活の問題であった。といってそれに替わる財源の見通しはない。これだけの大所帯を維持運営するには相当の資金が必要である。存続か解散か、この問題が持ち上がったとき真剣に考え、悩んだものである。そんなときに体協が法人化を進めている、と言う情報が入り、市教委も私たちに対し法人化を奨めてきた。早速勉強会を設定してNPOについて学んでいった。その過程で公的施設の委託問題が浮上してきたのである。つまり、補助金や助成金は出せないが、公的な施設の管理業務を受託すれば、何がしかの委託料が入るから、それを活動資金とせよ、と言う訳だ。
仕事を与えるから稼げ、労働の代償として賃金を払う、と言うことと同じである。
こうして、NPO法人化へ向けての準備と同時に公的施設の管理委託の作業が進められていった。

文化活動の自立性、自主性は損なわれないか

平成十五年度から留萌市中央公民館、留萌市文化センター、スポーツセンターを含むいわゆる市民センター全体の管理業務を委託された。これにより従来の補助金に匹敵するいわゆる委託料が文化会議に入ることになり、どうにか例年どおりの予算を組むことができた。しかし問題が無い訳ではない。例の施設を使うものと使わないものとは負担は別であるべきだという、家賃の取立てのような理由をつけて「受益者負担の見直し」という大合唱のもとに条例は改正され、公的施設を利用する団体は大きな負担を強いられる結果となった、文化会議自体もそれによる負担をもろにかぶることになった。のみならず、公的は施設の管理業務を受託したことにより、お金を出すからには口も出す、という論法なのか、行政側から内部干渉ではないか、と危ぶまれるような発言が相次ぐようになった。

例えば「文化会議の仕事は公民館に移してここでやって欲しい」と、耳を疑うようなことを言ってくる。さらにお金の使い方を指示する。ときに人事への介入ではないか、と思われるような発言がある。到底信じがたい言動に一体どんな意図が隠されているのか、計り知ることができない困惑を覚えてしまう。

私たちは行政とは一定の距離をおこうとする。法人であるからには、当然とるべき姿勢である。私たちは行政の下請けの積りはない。むしろ業務を委託されることにより、従来の行政サービスとは一味違った良質のサービスを提供しようという意気込みさえあつた。そんな思いに水を差すかのように、「受益者負担の見直し」問題が持ち上がり、実質的な値上げに等しい負担増となって利用団体を直撃した。不幸なことに今や良質なサービスどころか、予期しない他の要因も重なって利用者から不満の声すら聞こえるようになった。それでもようやく引継ぎ当初にみられた混乱も解消し、業務にも慣れ、次第に落ち着いてきたかのようにみえる。
では肝心の文化活動はどうか。事業を増やしたり、公民館の委託業務を抱えたりしたため、事務局はフル稼働を強いられたことは事実であるが、一方で私たちが大切に思ってきた「だれからの干渉も受けない、のびのびとした自由」が少しずつ損なわれていく危惧感を打ち消すことができないでいる。それが思い過ごしであればいい、と願っている。
文化から自主、自由を奪ったならば立ち枯れも同然になってしまうことを肝に命ずべきである。 

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